当国七番観音・土倉稲荷堂

【本尊】千枚苞巻観音像(一寸八分)

観音堂この像は奈良時代に唐の鑑真和尚が持参し、孝謙天皇から宮内官の藤原仲麻呂に渡ったとされる秘仏です。
盛岡、紫波、稗貫、和賀等の当国三十三観音の七番観音の札所として参詣人も多いです。

 

 

 

【片腕不動尊】天文18年(1549)作、木像1尺2寸

片腕不動尊
七番観音(中央)、片腕不動尊(左)

享保年間に修験者和光坊(?~1737)が諸国を巡拝していた折り、 途中にて盗賊に遭い刀で切られたが、護持した不動明王が身代わりとなって難を逃れたといわれています。
右腕に見られる損傷は、その時のものと言い伝えられています。

 

 

【十三仏】文化2年(1805)崇運作、極彩色木像1尺2寸

十三仏一代守本尊、法要本尊の十三仏

盛岡十三日町古物商店に陳列されていたのを、当寺24世祖源和尚が発願して各村を托鉢して浄財を募り、 明治36年に購入し奉安したものです。
一代守本尊、法要本尊として七番観音と同様に参詣者が多いです。

 

 

【写仏天井絵】十三仏の写仏絵で荘厳された観音堂の天井

写仏天井絵檀信徒48名による写仏天井絵

当寺では月1回、仏様を描く写仏を実施しておりました。 そこで描いた四十八人の作品が天井を埋めています。 この写仏は中学生から九十歳の人までが参加し、一人一人が様々な願いを込めて描いたものです。

 

 

【土倉稲荷堂】

土倉稲荷堂

北上川の洪水で九死に一生を得た伝達和尚の漂着したのが、亀ヶ岡下の淵付近(現在の蟠龍寺の地)で、 藤蔓の中に土倉稲荷の社堂があったことから同社の加護によるものであると信じ、蟠龍寺の守護神として社殿を建立、 明治初期に現在の地(寺から北方150メートル)に遷され祀られています。