葬儀・年回

葬儀

死ぬるとは人のことかと思いしに俺が死ぬとはコリャたまらん

という川柳があります。

この世で最も確かなこと、それは誰しもが生まれれば遅かれ早かれ死が巡って来るという事実です。私たちは、片道切符を持って、死という終着駅に向かって進んでいるのです。往復切符ではありませんので、終着駅に着けば、戻って来ることはできません。

どんなに愛し合っている夫婦でも、親子でも必ず別れなければなりません。

亡くなった方に対して、心から追慕し感謝の気持ちで、最後のお別れをしたいと願うのは、人として誰しもが持ち合わせている尊い心であります。

また、親類縁者、友人、知人、地域の方々が駆けつけてくれるのは、悲しみに沈む遺族にとって何にもまして慰められます。

 

追弔御和讃に「その名を呼べばこたえてし  笑顔の声はありありと 今なお耳にあるものを おもいは胸にせき上げて とどむるすべをいかにせん 溢るるものは涙のみ」とあります。

死別ほど悲しく辛い事はありません。遺族が死を受け容れ、悲しみの底から立ち上がるには、時間がかかります。しかし、辛くてもしっかりと現実を見つめ、死と向き合わなければ、前向きに進むことはできません。

 

私たち仏教徒の最終目的は「成仏」すること、即ち仏に成ることであります。それは、亡き人であっても同じことであります。亡き人に対して、願う事は、「一日でも早く成仏し、仏の世界に安住されますように」という事に尽きます。

曹洞宗の葬儀では、亡き人を仏の世界、悟りの世界に導き、亡き人は、そこから、いつまでも私たちを見守って下さるようにと、お勤め致すのであります。

 

曹洞宗では亡き人を仏の弟子としてお送りしますので、戒名をお付け致します。

本来、戒名は、生前に「仏教徒として生きてゆこう」と誓ったときに、戒法を受けて頂くものですが、現実的には多くの方々はそのような機会も無いことから、葬儀の時に付け、その証として血脈を授与します。

 

仏教を開かれたお釈迦さまの教えは、弟子の摩訶迦葉(まかかしょう)大和尚、そのお弟子の阿難陀(あなんだ)大和尚と続き、28代目がインドから中国に仏教を伝えられた達磨さんで親しまれる菩提達磨(ぼだいだるま)大和尚であります。曹洞宗を開かれた道元禅師さまは中国の天童如浄(てんどうにょじょう)大和尚の元で修行し、悟りの境地を認められて印可証明を受けられ、お釈迦さまから脈々と受け継がれた正傳の仏法を受け継いたのでありあます。51番目のお弟子である道元禅師さまの教えは日本各地に広まり、私の師匠であった故二十五世大禅正興大和尚がお釈迦さまから数えると88番目の弟子、そして、私はその弟子ですので89番目の弟子となるのです。

ですから、私が戒名をお付けした方はお釈迦さまから数えて90番目のお弟子となられるのであります。

その脈々と受け継がれた系図が血脈に印されており、最後が新しく亡くなられた方の精霊であります。ですから、血脈とはお釈迦さまから正しい仏法を引き継いだという証明書で あります。

 

葬儀では、血脈を授与したあと、導師は「衆生仏戒を受くれば、即ち諸仏の位(くらい)に入(い)る、位(くらい)大覚(だいがく)に同じうし已(おわ)る 真(まこと)に是(こ)れ諸仏の子(みこ)なりと」(大意は、仏さまの戒法をうければ、そのままみ仏の仲間入りができ、大いなる悟りを得た大覚者として、仏の資格を得るのです。仏さまの戒法を受けた者は、まごうことなく、み仏の子である)お唱えします。

 

やがて、住職(導師)は故人生前の徳を讃(たた)える引導法語を述べて、御仏の世界に安住するように引導を渡すのです

 

蟠龍寺本堂
蟠龍寺本堂

当寺では、 葬儀、法事のお勤めは、本堂で行います。遺族、会葬者ともイスにお座りいただいております。

 

 

 

 

 

 

法要

法要とは、施主が故人を偲び冥福を祈るために行う「追善供養」のことを指します。

追善供養とは、施主が仏さまに菓子や果物、お花をお供えし、お経をあげてもらい、善根(良い行い)の功徳を積み、その功徳を回向(えこう;たむけること)することによって、ご先祖様や故人の冥福を祈り、あわせて、自分を含む全てのものが仏道を成就することを願うことであります。

法要は一般には「法事」と呼ばれていますが、厳密にはお経をあげてもらう追善供養を「法要」と呼び、追善供養の後の会食まで含むものを「法事」と呼ぶことが多いです。

 

さて、供養するには三つのものがそろわなければならないとされています。

 

第1は利供養;生きておられるが如く、おもてなしをすることです。

美味しい食べ物を頂いた時などは、まず、真っ先に仏さまにお供えします。嬉しいこと、悲しいことなどの出来事も全て仏さまにお話し、喜び悲しみを共有することです。

 

第2は敬供養;お釈迦さまの教えであるお経を読んでさしあげる。もちろん、導師は住職がお勤めするのですが、みんなで読んで供養してあげるのが良いのです。

 

第3は行供養;亡くなられた仏さまが喜んでいただけるような心の持ち方、行いをすることであります。どうしたらいいのか、迷ったときには心静かに仏壇に手を合わせれば、必ず仏さまの喜ぶような答えが導き出されます。

 

以上の三つに分けましたが、要は、亡き人に真心を尽くし、生前と変わりなくお仕えし、亡き人の喜ぶ生き方をすることであります。

 

sogi_appleある小学校4年生の算数のテストで、次のような問題が出されました。

「ここにリンゴが4こあります。きょうだい3人でなかよく食べるには、どのように分けたらいいですか」

もちろん、答えは1こと1/3こです。

ところが、ある生徒が答案用紙に次のように書いたのです。

「さいしょに、1こをほとけさんにあげて、のこりの3こをなかよく1こずつわけます」と回答したのです。

その子の優しさ、家族の仏さまに対する接し方が、そこから読み取れます。その子の真心がご供養そのものです。

たとえ、算数の問題としての解答は×であっても、その子には花丸をあげたいですね!

 

見えなくてもお花を供えたい

食べなくても美味を供えたい

聞こえなくても話したい

見えざるものへの真心は美しい

 

さて、年回ですが、

一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌、三十七回忌、五十回忌がございます。該当される施主家には当寺からお知らせ致しております。

 

檀信徒会館「和融閣」
檀信徒会館「和融閣」

葬儀や年回後のご法事は、檀信徒会館「和融閣」で行います。120畳あるので、少人数から大人数まで対応できます。

 

テーブル式ですので、ゆっくりとご供養いただけます。