もも子が起こした奇跡の物語

2007年6月21日 フジテレビ系 「奇跡体験!! アンビリバボー」

岩手県の盛岡市の南にある紫波町。中野英明(えいみょう)さんが住職を務める蟠龍寺がある。今から14年前の1993年の春、普段は読み飛ばしているタウン誌の広告部分に英明は目を留めた。ゴールデンレトリバーの子犬を譲るというものだった。犬好きの英明と妻・成子はすでに二匹の小型犬を飼っていたが、過去に飼っていた大型犬のシェパードが忠実だったことから、またいつか大型犬を飼いたいと思っていた。
これも縁と思って英明は子犬を見に行った。生後40日のかわいい子犬たちがいたのだが、その中に一匹、悲しげな目をした、どこか頼り気ないような子犬に目を奪われた。そして自分がこの子を飼ってあげなくては、と思って決めた子犬に、白い巻き毛の奥にのぞく皮膚が桃の花のように可憐で美しいことから、もも子と名付けた。先輩の2匹の犬にも受け入れられ、もも子は中野家の大事な家族の一員になった。
寺の近くを流れる岩崎川がいつもの散歩のコースだったのだが、かつては美しい流れだった川も、上流で捨てられたゴミがこの付近に散乱し、不法投棄された粗大ゴミも山のようになっていた。

 

  英明はゴミから目をそらしていた。だがある出来事が英明を大きく変えた。
写真が趣味の英明は、高山植物を撮影するために北上山地の最高峰、早池峰山を登っていた。その時、一人の青年が大きなリュックを背負い、先端にフックのついた竹の棒を持っているのを目にした。しばらく様子を見ていると、青年はその棒を使ってゴミを拾っていた。英明が管理人なのかと話しかけると、彼はこの山に何度も登らせてもらっているからただのお礼だ、と話した。青年はこの山が好きで、ゴミを拾っているのだという。
大好きな山にお礼がしたいというその言葉に、英明は自分を置き換えてみた。そして翌日から早速行動を開始した。息子達と一緒に川のゴミを回収し、軽トラックに積んでゴミ集積所まで運ぶことにしたのだ。範囲も広かったため町で注意を促すのには限界があり、ゴミの量はすさまじかった。結局軽トラックで何往復もし、一日がかりでの作業となった。

 

  そして翌日、すがすがしい気分で散歩に出掛けたのだが、またしても心ない人間によってゴミが捨てられていた。それでも英明は毎日朝と夕方、散歩の時にゴミを拾い続けた。
やがてもも子が生後10ヶ月の頃、英明が川に浮かんだゴミを取ろうとして足を滑らせ、川に転落してしまった時のことだった。もも子は英明を心配して川に飛び込んだ。足のつく浅い川だったので大丈夫だったのだが、もも子は教えられたわけでもないのに浮かんだゴミをくわえて英明のもとに持ってきた。これが奇跡の始まりだった。
翌日からもも子は、散歩のたびに英明の手の届かない水面に浮かぶゴミを拾ってくるようになった。しかも木の枝など自然のものには目もくれず、ペットボトルなど人間が捨てたゴミだけを拾った。自分を喜ばせるためかと英明は思ったが、他の人が散歩させても同じようにゴミを拾ったという。

 

  さらに、ある学生が川にゴミを捨てるやいなやもも子は川に飛び込んでゴミを拾い、その学生のもとに持って行った。
自らゴミを拾う可愛いゴールデンレトリバーの噂は街中に広がり、ついに地元のニュース番組で取り上げられるほどになった。
テレビを見た多くの子供たちがもも子の散歩に付き合い、一緒に川のゴミ拾いを始めるようになった。その行動は大人達にも広がった。住民たちのゴミに対する意識が変わり始めていた。
だがもも子は、捨てられたガラス瓶のかけらで肉球を切ってしまったこともあった。幸い思ったほど重傷ではなく、怪我はほどなくして治った。久しぶりの散歩に出た時、もうもも子はゴミを拾わないのではないかと英明は思った。ところがもも子は怪我のことはなかったかのように、以前と変わらずゴミを拾った。

 

  人間も何かしなければ、ともも子に背中を押されるように英明は一通の手紙を書いた。
「紫波町の美しい自然を次の世代に生きる人々のためになんとか残したい、綺麗な町づくりのための『ごみポイ捨て条例』を制定してください」という内容のものだった。
この提案は町議会で審議されることになった。当時の町議会議長(現・町長)藤原孝氏は、町には空き缶や煙草の吸い殻などゴミが多い状態だったので、もも子の活躍に賛同して制定を検討したと話す。
そして1999年、全会一致で採択された紫波町初の罰則付き環境条例『ゴミポイ捨て禁止条例』が制定された。もも子の頑張りが議会を動かし、条例を誕生させたのだ。
もも子がゴミを拾い始めて10年、もも子は10歳になっていた。条例のお陰でゴミは減っていたが、それでも毎日のゴミ拾いは続いていた。そんな矢先、もも子に乳ガンが見つかった。幸い発見が早く手術は成功したのだが、体力は衰え始めていた。動きもにぶくなり、水に入ることも難しくなっていた。

 

  しかしもも子は、川に浮かぶゴミをじっと目で追った。英明はもも子を抱きしめて「もう川に入らなくていいんだよ」と伝えた。
2006年、もも子は14歳になっていた。耳もほとんど聞こえず、川に入ることもなくなっていた。それでももも子の存在感は変わっていなかった。
当時、ゴミ問題に力を入れていた岩手県庁は、県民にアピールするためのポスターにもも子を起用した。ゴミをくわえたもも子の愛くるしい姿は大反響となった。
岩手県資源環境推進課の平船千佳子さんは、「ゴミを拾っているもも子を見て、多くの人が気をつけようと思った。ももちゃんを採用した効果はとても大きかったと思います」と話す。
その年の11月12日、もも子はいつになく元気に英明と散歩に出た。早朝の散歩を終え、英明は朝のお務めに入った。そして、お務めが終った時に庭に横たわるもも子を見つけた。呼びかけに答えてくれなくなっていたもも子を見て、妻の成子はふと前日のことを思い出した。

 

  夕方の散歩の途中、成子は知人に会ったためほんの少しの間もも子から離れたのだが、戻ってくるともも子の足下にペットボトルがあることに気づいた。その一本のペットボトルがもも子の最後の仕事だった。
もも子は14年の生涯を静かに閉じた。
英明さんは、その前の晩に甘いものが好きだったもも子にシュークリームの皮の部分をあげた。犬に甘いものは良くないのでクリームの部分は自分で食べたのだが、今思えばまるまる一個あげればよかった、と後悔しているという。
英明さんともも子がゴミを拾い続けて15年経った今、岩崎川はゴミ一つない美しい川になった。この綺麗な川を見て一番喜ぶのはもも子ではないか、と英明さんは話す。ゴミのことを気にせず好きなようにのんびりと川を泳がせてあげたかった。
自分より大きなゴミ袋をせっせと拾い続けたもも子。その健気な姿と愛くるしい姿は、今も英明さん夫妻だけでなく多くの人びとの心に生き続けている。

 

  もも子の死後、岩手県は多くの人に川と町を綺麗にする大切さを教えてくれたその功績を讃え、もも子に知事感謝状が贈られた。動物に贈られるのは前例がないという。
また、もも子に最後のお別れをしたいという多くの住民の声から、2006年11月26日にお別れ会が開かれ、県内から多くの参列者が集まった。自分たちが住む自然を綺麗にしたい、そんなもも子の遺志を継ごうと英明さんは今も毎朝川の清掃を欠かさない。
岩崎川の上流に遊びに行った時、美しく澄んだ川で楽しそうに泳ぐ無邪気なもも子の写真。英明さんにとって忘れられない思い出だ。
亡くなって半年になるが、ももちゃんに会いたい、拝ませて欲しいとやってくる人が今もいるという。英明さんは、「もも子は私だけじゃなくて、みんなの心に生き続けるのかな、と思って、いなくなって悲しいですが少し嬉しい気もします」と話す。

 

 

>>アンビリバボーでの放送内容(動画)