住職の徒然日記

2016/08/01
弱者への攻撃は許されない
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神奈川県相模原市の障がい者施設で起きた凶悪事件には言葉を失います。弱者を攻撃することによってのみしか、自分の優位性を保てない人が増えている事に危惧を感じます。

ヘイトスピーチや移民排斥等に見られるような風潮がはびこっていることが根底にあるように思えます。弱者や少数者を思いやる寛容な社会を築いて行きたいものです。事件の犠牲者や負傷者の氏名が非公表とされているのは、未だに障がい者に対する差別や偏見が社会に根強く残っており、その事に苦しむ家族が多いという言う事でありましょう。

今回の事件で、施設の警備にのみ重点がおかれ、障がい者施設が地域社会から隔離されることのないよう、更に一層、障害がある人とない人との日常的な交流が計られるような方策がとられることを望みます。

「障がいは不自由であるが不幸ではない。不幸にしているのは社会である」        ヘレン・ケラー

私が非常に感動したある主婦の方の作文を紹介します。是非、読んで下さい。

「ボランティア活動から得た大切なもの」 (M・S)

あれはもう、15年前のことだ。あの頃の私は、ひどくささくれだっていた。親の離婚、住み慣れた町との別れ。そんな寂しさを理由に、自堕落な高校生活を送っていた。校則を破り、人に逆らうことでしか、自分を表現することができないいらただしさ、そんな自分を突き詰めれば突き詰めるほど苦しくて、自分の存在が無意味に思えてくる。何もかも忘れたくて、ただ楽しいことを追求しては、道楽な毎日に浸っていた。

そんなある日、気乗りしない学校で、重度身体障害者の運動会、ボランティアのクラス代表を選んでいた。私はいつものように、一番後ろの席で、いつもの友達とくだらない話に興じていた。その時、担任が突然「クラスの代表は伊藤さんでどうでしょう」と言った。意図が見え見えだったので、もちろん断った。が、多数決で勝ち取った先生の意見はそのままクラスの意見となり、かくして私は次の日曜日、ボランティアとして運動会に参加することとなった。

当日、会場は、けたたましい軽快な音楽とは裏腹に、身体の不自由な参加者達が担当のボランティアと共にたどたどしく行進をしていた。そんな中、いかにも場違いな私の姿に人々の冷たい視線が集まった。「もう帰ろう」と思った瞬間、一人の夫人が声を掛けてきた。「うちの息子の手伝いをお願いできない?」と申し出て来た。

車椅子には、同じ年くらいの大きな男の人が座っていた。「しーげーるーでーす」自己紹介のたったそれだけの言葉に、全身のありったけの力を使ったのか、言い終えた後、肩で大きく息をしていた。私には断る勇気もないまま、その日、彼の世話を彼の母親とした。世話は想像以上に大変だった。重い身体を二人で支え、各競技に参加する。たった半日の日程なのに、身体はくたくただった。

それでも「しげる」は終始楽しそうだった。運動会も終わりかけた頃、彼の用便の手伝いをしていた時に、私はあまりにも重い彼の身体を支えながら、無意識に「毎日大変だねぇ、おばさんも」と言ってしまった。

母親は、温厚そうな目からは想像もつかないような目で私を見据え、「生きているんだから」と強い口調で言い返してきた。私は顔中が火照ってきた。生まれて初めての屈辱感が体中に走った。「生きている、生きている」・・・・気付いた時、いつの間にか自宅の前に来ていた。何が言いたかったのかおおよそ見当がついた。そして、当たり前なことに、軽はずみな同情の言葉を掛けた自分。当たり前のことをせずに生きている自分が恥ずかしくて仕方がなかった。

私はその夜、彼の姿、彼の母親の姿、自分の情けない姿、それぞれが瞼にはっきりとしがみついて一睡も出来なかった。それでも次の日、学校に行く。いつもの友達が「どうでしたか?昨日のボランティアは」とからかい混じりに話を掛けてきた。「ふざけるな」そう答えていた。何かが私の中で変わっていった。そして、その数日後、決定的なことが訪れた。

朝礼の時に、先生が私に一枚の葉書を持ってきた。その葉書には「ありがとう、ありがとう、ありがとう」と大きく鉛筆で書かれていた。もちろん、差出人は「しげる」と書いていた。

私は教壇から自分の席まで涙をこらえるのに必死だったが、席に着いた時は葉書が涙で濡れていた。「全身麻痺だったじゃない、話すのもやっとだったじゃない、どうやってこの字を書いたのよ?なんで、なんで私なんかに感謝するの?」。涙は後から後からとどめなく流れてきた。その日、私は染めた髪を切り、普通のごくありふれた高校生に戻った。

あれからはや15年の月日が流れ、今は3人の子供の母親になった。普通の母親である。時々子供に大きな期待を抱くことがある。自分自身を情けなく思うことも相変わらずである。そんな時、あの葉書がどれほど自分を支えてくれているだろう。そして、あの母親が言った「生きているんだから」という言葉の重みが、今、母親として痛いほどよく分かるようになった。加えて、自分の生んだ息子とはいえ、一つの命に対して尊重の姿を崩さなかったあの母親に深く敬意を感じている。

あのボランティア活動が、私にとってかけがえのない体験になったのは言うまでもない。いつか、あの親子に会ったら、胸を張って言える人生を送りたい。それが、あの葉書を受け取った気持ちである。

 

 

2016/07/25
野々花、初めての川遊び
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連日の暑さで、グッタリと昼寝ばかりしている野々花を川遊びに連れ出しました。

ちょっと足を濡らしては、直ぐに足を引っ込めるなど、おっかなびっくりの様子でしたが、直ぐに慣れ、私が川に石を投げ入れると、その方向に走り出すのでした。

今回は、浅瀬でしたので、初泳ぎとはならなかったのですが、次回は足の届かない所で泳がせたいです。

なお当初、野々花は川をのぞき込んで吠えていたので、何に向かって吠えているのかと思ったところ、水中でゆらゆらと揺れ動く藻に向かってでした。以前は流れのゆるい箇所も非常に澄んで奇麗だったのですが、いつからでしょうか、岸辺の水中に藻が生育していたのです。川が汚れてきたのでしょうか?、残念でなりません。

当初はビビってましたが、直ぐに慣れました
初めての水遊び
投げた石に向かって走る
楽しそうに走り回る
一見、白熊と見間違う
白熊?
次回は本格的に泳がせたいです
遠くにも行けるようになりました
2016/07/06
野々花、ラブのハナちゃんと遊ぶ
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近くに住むハナちゃんは2歳半のラブラドールです。野々花は子犬の時からの顔見知りでしたが、あまり仲良く遊ぶことが出来ませんでした。ハナちゃんが近づいてくると、尻尾を丸めて逃げ出すのでした。

ところが1ヶ月前程から、かけっこしたり、じゃれ合ったりして楽しそうに遊ぶようになったのです。野々花も11ヶ月となり、体格的にも自信が付いてきたのとハナちゃんの友好的なしぐさに安心したのだと思います。

ハナちゃんの飼い主さんと遊ぶ様子を楽しく見守っています。

楽しくじゃれ合っています
左;ハナちゃん、右;野々花
大型犬は緑の原っぱが似合います
何か語り合っているのでしょうか?
楽しく遊んで満足顔です
遊び疲れて一休み。
2016/07/02
ココロちゃん お別れ
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小さいときから、我が家に遊びに来ていたココロちゃん(コーギー 14歳)が亡くなりました。いまは、かって一緒に遊んだ仲間のワンちゃん達と再会し、楽しく遊び回っていることでしょう。

飼い主さんの話によると、亡くなる少し前、外に出たがるので、トイレかと思い外に出したところ、車に乗りたい様子だった。抱き上げ車に乗せたところ、安心したのか、間もなく息を引き取ったとのことでした。

いつも車で楽しいところに遊びに連れて行ったので、ココロちゃんは車に乗れば身体も楽になると思ったのでしょうね。

ココロちゃんと暮らしているチュラちゃん(ミニチュア・ダックス)が、淋しさで体調をくずさなければいいのですが。チュラちゃんは、寒いときはもちろんですが、暑いときも、いつもココロちゃんにくっついて頼りにしていたので。

みんなに迎えられ、遊び回っていることでしょう
みんなの処に旅立ちました
叔母さんの小梅とはライバルでした
小梅(左)とワンショット
鼻筋が通り、本当にかわいかったです
子犬の頃のココロちゃん
真面目で飼い主さん思いのココロちゃんでした
麗美に育ちました
お姉さんのココロちゃんがいなくなり、寂しくなるチュラちゃん
妹分のチュラちゃんとはいつもいっしょでした
2016/06/13
野々花に子ガメを見せる
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野々花がフエンス越しに池を見つめていたので、のぞいて見ると草むらに子ガメがいました。手にとって野々花に見せたところ、「これは、食べられるのかな?」と思ったのかクンクンと臭いをかいでいました。

「野々花!カメさんをいじめてはダメ!」と叱ると、軽くなめ、後は見守っていました。

池には今年も子ガメが多く見られます。今年生まれたのか、あるいは去年生まれたのか、或いはそれらが入り交じっているのかは分からないです。

食べられるのかな?真剣に見つめる野々花
野々花、子ガメと対面
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