住職の徒然日記

2016/03/08
池の亀 冬眠からさめる
カテゴリー:ブログ

昨日は、気温が13度位まで上がり、早くも一匹の亀が冬眠からさめて、甲羅干しをしていました。昨年は、最初に見かけたのが3月18日でしたので、10日以上も早かったです。

池には10匹以上の亀が住んでいますが、冬眠からさめるのに早い遅いがあり、遅いのは桜の咲く頃に冬眠からさめるのもいます。人間でも早起き出来る人もあれば、寝坊の人もあるようにそれぞれですね。

昨年、生まれた子ガメが無事に越冬出来ておればいいのですが、心配です。

寝坊な亀は、桜が咲く頃に目覚めます
早くも冬眠からさめた亀

 

2016/03/07
野々花、雪山でフリスビー遊び

昨年の8月2日に生まれた英国ゴールデンの野々花は7ヶ月となり、体重も約25㎏となりました。大部ゴールデンらしくなってきましたが、まだまだ幼さが残るやんちゃんでレディーとは言えないです。

昨日は近くの山に連れて行き、積雪の中、フリスビーで遊んできました。フリスビーを遠くに投げると、雪をかき分けて回収してきます。積雪の中では、ボール遊びが出来ないので(雪に埋もれて見失ってしまう)、この遊びが最高です。

骨格がしっかりしてきたなら、直接キャッチ出来るように教えたいとは思っていますが。かって、飼っていたコーギーの小梅とビアデッドのバッハはフリスビーが得意でしたが、先代犬のゴールデン、もも子はあまり興味を示さなかったので、果たしてどうなるのかな。

遠くに投げたフリスビーを回収する
フリスビーで遊ぶ
得意げな顔をして、意気揚々と回収する
飛び跳ねて戻る
大部ゴールデンらしくなってきました
雪中で一休み
体は大きくなってきましたが、まだ幼さが残る野々花なのです
雪が似合うゴールデンの野々花
2016/03/02
杉を伐採
カテゴリー:ブログ

境内の杉を伐採しています。

数年前に一本の杉が倒れ、会館の屋根を直撃し、大きな被害が生じたことがありました。杉の内部が腐っていたことに因るもので、もし、墓地の方に倒れていたら、もっと甚大な被害が生じたと思ったのでした。

会館を直撃して、大きな被害が生じました
数年前、中が腐って倒木した杉

今回、樹齢も経ていることから、思い切って境内にある杉の木を伐採することにしました。伐採は檀家のTさんにお願いしました。Tさんは、普段からボランティアにて、境内の清掃、環境整備等にご尽力をいただいている方です。

高さが30メートルもある大木のてっぺんに登り、上から少しずつ伐採する技法で、名人技と言わざるを得ません。

杉は車が入れない場所に生えているので、クレーン車を使って伐採する訳にもいかないので、足場を組ん切り倒すとなると、かなりの費用がかかってしまいます。Tさんには感謝、感謝の気持ちで一杯です。

最初に枝を切り落とします。見ている方が怖いです。
伐採のため、てっぺんを目指して登る
ここから、切り落としていくのです。
てっぺんにたどり着く
見ている方がハラハラ、ドキドキです。
約30メートルの高さでの作業
周囲が3メートル位あります。
伐採した杉の切り株
2016/02/17
涅槃会に因み
カテゴリー:法話集

お釈迦さまが亡くなられた命日の2月15日は多くの寺院で涅槃図を掛け、涅槃会法要が営まれます。

涅槃図の中央には黄金色に輝くお釈迦さまが枕を北にして臥せられ、その周りには嘆き悲しむ天の神々、菩薩、弟子たちが画かれています。お釈迦さまのお顔だけは、穏やかな微笑みを湛えておられます。お釈迦さまのお顔を如何に安らかな表情に描くかが、絵師の腕の見せ所と言われております。

お釈迦さまの最後の説法に基づく「遺教経」というお経があります。その初めの部分に、「度(ど)すべき所の者は皆已(すで)に度しおわって沙羅双樹の間に於て、将(まさ)に涅槃に入りたまわんとす」という箇所があります。
「私は人々に教えを説き、悩みや苦しみのない安らかな悟りの世界に導いてきた。今は一切の思い残しもなく、沙羅双樹の樹の下で安らぎの世界に入ります」という意味です。更に「遺教経」の中に、「為(な)すこと無(の)うして空(むな)しく死せば、後に悔いあることをいたさん」とも述べられております。
「やるべきことをせずに空しい生き方ばかりしていたのでは、いよいよこの世からお別れするときに後悔しますよ」と喚起しております。

お釈迦さまの穏やかな微笑みは、成すべき事を全て精一杯やり遂げた思いから生じているのでしょう。

曹洞宗を開かれた道元禅師は「学人(がくにん)は必ず死ぬべき事を思うべし」と言われております。仏道を学ぶ者は、人は間違いなく死ぬのだと言うことをよくよく考えなさいという意味であります。

私たちはこの世に生きているのは当然で、死ぬのは運が悪いというか、偶然であると思ってはいないでしょうか? その証拠に、人が亡くなると「まさかあの人が」とか、「運が悪かった」と思いがちです。
しかしながら、よくよく考えてみると、実は生きていることは、様々な縁に恵まれての偶然であり、死ぬことは必然なのです。まさに「生は偶然、死は必然」ということであります。

曹洞宗でよく読まれるお経に修証義というお経があります。その中に「人身(にんしん)得(う)ること難(がた)し」という一文があります。私たちが今、人として生まれ、今このように生かされていることは、有ること難し、偶然の上にも偶然が重なった結果なのです。

私たちが生まれるためには必ず父親と母親がおります。そして、父親と母親にはそれぞれ2人づつの親、即ち4人の祖父母が、4人の祖父母には8人の曾祖父母が8人の曾祖父母には16人の曾々祖父母が、そうしますと一代さかのぼる毎に倍ずつ、2人,4人,8人,16人,32人,64人,128人,256人,512人・・・・と倍々と増えていきます。

十代さかのぼると(一代を仮に25年と計算すると250年位前)1,024人の先祖が、二十代さかのぼると100万人、三十代さかのぼると(約750年位前)と、何と10億の先祖がなければ今の自分がないということになります。

皆様の先祖がその時その時代を一生懸命生き、命が連綿として引き継がれて来たお陰なのであり、一人一人の身体にはそれだけ沢山の先祖の血が、命が受け継がれているのです。その中のたった一人でも欠けると今の自分が無いことになります。
まさしく「人身得ること難し」であります。ですから。今ここに生きておるということは本当に難値難遇の出来事であり、「有ること難し」なのであります。

涅槃会に因み、、改めて命というものを見つめ直し、今を生かされている自分、今を生きている自分を自覚し、一時一時を、日々を一生懸命に、そして丁寧に生き切るということを誓いたいものであります。

最後に、涅槃図のお釈迦さまのお姿を自分の亡くなった時の姿に置き換えて見て下さい。

その時に、自分が微笑んで、周りが悲しんでくれているでしょうか?

それとも、自分が死にたくないと嘆き悲しんでいるのに、周りが笑っている・・・・。それでは、あまりにも寂しい人生ですね。

お釈迦さまのように自分が微笑み、周りが嘆き悲しむような生き方を
当寺の涅槃図
2016/02/16
涅槃会行われる
カテゴリー:ブログ

2月15日はお釈迦さまが亡くなられた日で、当寺でも涅槃図を掛けてご供養が行われました。

涅槃図の中央には北枕のお釈迦さまが伏しておられ、その周りには嘆き悲しむ弟子たち、天の神々、多くの動物たちが画かれています。お釈迦さまのお顔だけは安らかな、むしろ微笑んでいるように見受けられます。

お釈迦さまの最後の説法を元に作られた「遺教経」というお経の中に、「為すこと無(の)うして空しく死せば、後に悔いあることをいたさん」という箇所があります。「やるべきことをせずに空しい生き方をしていたのでは、この世からお別れする時に後悔しますよ」という意味です。

お釈迦さまは、人々の苦悩を救わんと全精力を傾け、この世でやるべき事は全てやり遂げたからこそ、あのような穏やかな表情をなさっているのだと思います。

ある国の諺に「生まれてくる時は、自分は泣いて生まれてくるが、周りの人たちは笑って祝福してくれる。死ぬ時は、自分は笑って、周りの人たちが嘆き悲しむような生き方をしなさい」というのがあります。正に、その通りだと思います。

その逆で、 「死ぬ時、自分が嘆き悲しみ、周りの人たちが、陰でこっそりと微笑み祝福する」。あまりにも悲しい生き方ですね。

少しでもお釈迦さまのお心に近づき、私たちも亡くなる時には、周りの人たちが悲しんでくれるような生き方を心掛けたいものであります。

涅槃図を掛けてご供養します
当寺の涅槃会
お釈迦さまを偲び、無心にお唱えしています
梅花講員による詠讃歌奉詠
涅槃図には様々なエピソードが込められています
涅槃図の解説をする
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