住職の徒然日記

2015/08/23
元少年、もも子のお墓にお参り
カテゴリー:ブログ

お盆に入る前のある午後、境内を掃除していたときに、一人の青年に声を掛けられました。「もも子のお墓に手を合わせて来ました」と言うのです。

話を聞くと、もも子とは少年院で会ったというのです。もも子が生きていた頃の事ですので、少なくても十年近くは経っていると思いますが、その青年が何気なく立ち寄った当寺に「もも子のお墓」があるのを知り、少年院に入院していた時に、もも子と触れ合ったことを思い出し、お参りしたと言うのでした。

年に1,2回、犬仲間の方々と一緒に盛岡少年院にワンちゃんを連れての触れ合い活動をしていたので、当時入院していた少年の中の一人だったのです。

近況を聞いたところ、「きちんと仕事をしている」との返事でしたので、今後も道を踏み外すことなく、更生していくことを信じたいと思いました。

触れ合い活動をしていた時の少年たちの笑顔は今でも忘れられません。施設の教官が「ワンちゃんと触れ合っている時の少年たちの笑顔は、普段見せることのない本物の笑顔だ」と言った言葉を思い出しました。

もも子も立派に更生することを願っています
元少年にお参りされ笑顔のもも子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015/08/21
夏ズイセン
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境内で「ジィージー」とやかましく鳴いていたアブラゼミの声もすっかり聞こえなくなり、朝夕にどことなく秋の気配が感じられる昨今となりました。さて、「夏ズイセン」ですが、例年ですと、お盆の最中に咲き誇っていたのですが、今年は7月から8月にかけて雨が少なかった為か、今が見ごろです。

この花は花期に葉がないことから、俗に「裸百合」とも呼ばれるそうです。但し、毒があるということで花壇などにはあえて植えられることもないようですが、群生する様子は見事です。

今年は例年より遅かったです
裏の坂に群生する夏ズイセン
咲くときには葉がないので裸百合とも言われる
淡いピンクがきれいです

 

 

 

 

 

 

 

2015/08/18
手押しポンプの水くみ場完成
カテゴリー:ブログ

お盆に入る前に、工事中であった水くみ場が完成しました。

私たちが小さかったところは、飲み水もお風呂の水も井戸水を使用しておりました。台所の水カメに水を溜めておくのも、お風呂に水を入れるのもたいていは子どもの役目で、手押しポンプで何回も何回も水を汲んだことが懐かしく思い出されました。

お参りに来られた大人の方は、懐かしそうに手押しポンプから水を出しておりました。子供たちは、最初は戸惑っておりましたが、冷たい水に大喜びで、手桶に水を汲んでおりました。きっと、御先祖さまも、子供たちが一生懸命に汲んだ水をお供えしてくれて喜んでいることと思います。

お墓参りにおじいちゃん、おばあちゃんに連れられたお孫さんが、年老いた祖父母に代わって水を汲み、御先祖さんにお供えする姿は、見ていても心が和みます。きっと、心優しい子どもに育っていくものと思います。

新墓地の近くに作りました
完成した水くみ場
懐かしい手動式の井戸です
手動式ポンプ
子供たちが汲んだ水で、ご先祖様も大喜びでありましょう
協力して水を汲む子供たち
水温は14度位です
冷たい水に大喜び

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015/08/17
四十八灯籠供養会

お盆の送り火の8月16日、当時では恒例の四十八灯籠供養会が厳かに行われました。新盆を迎えられた30組のご家族が参加されました。揺れ動くロウソクの炎の中に亡き人のお姿を偲び、心からなる追慕のご供養がなされたものと思います。

四十八灯籠供養会のいわれは、西方の極楽浄土をつかさどる阿弥陀如来さまが、法藏比丘と名乗って修行していた時、四十八の誓願をたてられました。一言で表せば、「この世に生きている全ての人たちが、悩み、悲しみ、苦しみから救われて、仏の世界に生まれ変わることができますように」という誓願です。

亡くなられた方は、この世に残されたご家族の幸せはもちろんのこと、この世に生きとしいけるもの全てが幸せになるよう願っております。その願いはこちら側の世界に生きている私たち仏教徒の願いでもあるのです。ですから、法藏比丘の四十八の誓願、それは亡き人の願いでもあり、私たち仏教徒の願いでもあるのです。その願いが一日も早く成就できますようにと、亡き人と残されたご家族が心を一つにして一本一本のロウソクに灯りをともしたのです。

供養会の浄行と真心は亡き人に必ず届いたと思います。

供養会の準備に朝からお手伝いして下さった近隣の方々、法要で御詠歌をお唱え下さった梅花講員皆さま方のご協力があったからこそ、今年も無事に法要を成し遂げることが出来ました。有り難うございました。

揺れ動く炎の中に亡き人を偲ぶ
四十八灯籠供養会
短くなったロウソクを取り替える
本堂はロウソクの熱でかなり暑いです

 

 

 

 

 

 

 

2015/08/15
学ぶは真似ることから
カテゴリー:法話集

お盆は亡き人を偲び感謝のまことをささげる大切な行事です。お墓で静かに手を合わせると、亡き人の懐かしいお顔が浮かんでまいります。今を生きている私たちは御先祖さまの生き方から多くの事を学んで、それを子や孫に伝えていく役目を担っております。

「学ぶ」は「学(まねぶ)」と同源とあります(日本国語大辞典 小学館)。学(まねぶ)は「手本にして真似る」という意味です。子どもは言葉や振る舞い、考え方など親の真似をして育ち、人格を形成していきます。

修行道場では、お釈迦さまや曹洞宗を開かれた道元禅師さまの教えや、行いを日々真似ることの繰り返しです。私が本山永平寺に修行の為に上山した時、最初に徹底的に教え込まれたことが、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)でした。坐禅の仕方はもちろん、食事の作法、東司(便所)の作法、入浴の作法、歩き方までが事細かに決められており、先輩の修行僧の真似をして覚えていったのです。

大本山永平寺七十八世故宮崎奕保禅師は次のように諭されております。「真似が一日続いたら一日の真似、二日やったら二日の真似。それが一生続いたら、もう本物になる」と。

形が整えば、それに伴い心も必ず整います。

朝、仏壇の前で背筋を伸ばし、深く呼吸をして、姿勢を正して、真っ直ぐに線香を立てて合掌する、日々繰り返すうちに、心が正しくなり、行いが正しくなります。その姿を子や孫が真似して身に付けていくなら、人生の大きな宝となるでありましょう。