法話集

2015/08/23
生まれるときは泣いて、死ぬときは?
カテゴリー:法話集

私たちは「オギャアー」と泣き、「オギャアー」の「ア」で息を吐いて生まれ、「ウン」で息を引き取ると言われています。この「ア」と「ウン」を漢字で表すと「阿」、「吽」であります。ですから、「阿」は口を開いて最初に出す音、「吽」は息を引き取る時の声と言えます。私たちは「阿」で息を吐き、「吽」で息を吸い込む「阿吽」の呼吸の中に生きているのです。「吽」で吸った息が出せないと、即ち、息を引き取ったままになり、臨終となるのです。

さて、ロシアの古い諺(ことわざ)に、「生まれてくるときは、泣いて生まれてくるが、周りの人たちは笑って祝福してくれる。死ぬときは、自分が笑って、周りの人たちが嘆き悲しむ。そのような生き方をしなさい」と。

それが逆だったらどうでしょうか?「死ぬときは、自分が嘆き悲しみ、周りの人たちが陰で笑っている」。あまりにも寂しい人生ですね。

いつだったか、NHKテレビ「臨死体験・人は死ぬとき何をみるのか」という特別番組が放映されました。それは、「死」を余儀なくされた人々が、奇跡的に死の淵から生還した体験を取り上げた番組でした。死の淵をさまよい歩いているときに、何とも言えないきれいなお花畑で亡くなった御先祖さまに会ったり、あるいは自分の一生を、幼い頃から死のその瞬間までに経験した様々な思い出が走馬灯を見るが如く思い出されたと言うような証言でした。

実はこのような体験をされた方から直接お話を聞く機会がありました。タクシーに乗った時の事です。「お客さんは和尚さんですか?実は不思議な体験をしたのです」とドライバーさんが話しかけてきました。

「ある冬の夜、お客様を降ろして帰る途中、雪道で車がスリップして崖から落ちたのです。もう助からないと思った瞬間、ほんの数秒にも満たない時間だと思うのですが、自分の一生が瞼に浮かんだのです。幼い頃、少年時代の頃、親や兄弟など懐かしい顔が映画のシーンでも見ているかのように鮮明に見えたのです。そして、父親として夫として、何もしてやれなかった残される子供や妻の幸せを願ったのです。幸いにも、落ちたところは雪が深く積もっていたので、たいした怪我もなく済みましたが、今は妻や子供をはじめ多くの方々との出会いの縁を大切にするようになった」と言うような内容でした。

人は亡くなる瞬間に、自分の一生を走馬灯のように見るのであれば、納得のいく、悔いのない生き方が出来ればと思います。

この世に何の未練も残さないで、「我ながら良くやったと、自分を愛おしく思い、縁ある方々にお陰様にていい人生を過ごさせて頂きました、一足お先に行ってますよ」と感謝の言葉を述べ、笑顔で合掌し、息を引き取りたいものあります。

「朝は希望に起き、夜は感謝に眠る」 日暮を!