住職の徒然日記

2015/07/21
心のゆとり

ある大学で出された試験問題です。ご一緒に考えてみたいと思います。

どんな問題かと申しますと、「風に揺れている電線に、鳥が平然と留まっていられるのはなぜか?鳥の心になって答えなさい」という問題です。

即ち、大嵐の時など大きく揺れている電線に、鳩でも雀でもいいのですが悠然と留まっていられるのは何故か、ということです。

模範的な答えは、「それは鳥の心にゆとりがあるからである。もし振り落とされても、すぐに飛べばいいという絶対の安心感があるからである。」というのだそうです。  なるほどと、頷かされました。

確かに私たちは畳の敷居の上は平気で渡れます。  でも、同じ10センチ位の幅の板が、何十メートルという高い所にあると、どうでしょうか?

落ちると怪我をする、あるいは死んでしまうかも知れない。という恐怖が先に立ち、足がすくんで渡ることが出来ません。

この場合、もし私たちが鳥よ同じように飛べるという「心のゆとり」があれば、平然と渉ることが出来ます。この細い一本の板を私たちの人生の路と考えてみましょう。

私たちはこの一本の板の上を、ある終着駅(死という)に向かって確実に進んでいるのです。 この歩んでいる板の周りからは、様々な快楽の誘惑、あるいは悩み、悲しみ、苦しみの手が伸び、歩んでいる板から引きずり降ろそうとします。
そういう人生にあって、嬉しい時には、素直に喜び、悲しい時、苦しい時は必ずいつしか光が射すことを念じ、じっと耐える。  嬉しいときには有頂天にならず、苦しみの時には打ちひしがれない、そういう「心のゆとり」をもって人生を歩みたいものです。

その為には、生きるための羅針盤が必要であります。それが、宗教であります。
共に正しい信仰に目覚め、深めて行きたいものです。