全国版のカメラ雑誌に載った岩手県八幡平市松尾の上坊牧野(うわぼうまきの)の「一本桜」と岩手県民の森にある「夫婦桜」を見に行ってきました。
残雪の岩手山をバックにした「一本桜」には県外からのカメラマンも多く、絶好の撮影アングルを狙ってカメラを向けておりました。
県民の森の「夫婦桜」はオオヤマザクラとカスミザクラが、寄り添うように立つ姿から、その名が付いたと言われています。残念ながら葉桜となっていましたが、満開の姿を思い浮かべ観桜してきました。




全国版のカメラ雑誌に載った岩手県八幡平市松尾の上坊牧野(うわぼうまきの)の「一本桜」と岩手県民の森にある「夫婦桜」を見に行ってきました。
残雪の岩手山をバックにした「一本桜」には県外からのカメラマンも多く、絶好の撮影アングルを狙ってカメラを向けておりました。
県民の森の「夫婦桜」はオオヤマザクラとカスミザクラが、寄り添うように立つ姿から、その名が付いたと言われています。残念ながら葉桜となっていましたが、満開の姿を思い浮かべ観桜してきました。
お釈迦さまの誕生は本来は4月8日ですが、当寺では一月遅れの5月8日に「花祭り」の法要を営んでおります。
きれいなお花で飾られた花御堂にお釈迦さまの誕生仏を祀り、甘茶を注いでお祝いいたします。
お釈迦さまは、お生まれになるとすぐに七歩進んで、右手で天を、左手で地を指さし「天上天下唯我独尊」と宣言されたと伝わっております。
七歩進んだのは、「迷いの世界(六道輪廻の世界)から悟りの世界に渡りましょう」と教示されているのです。「天上天下唯我独尊」の意味は、「誰しもの命は尊く平等で、それぞれかけがえのない命を持っている」という人権宣言です。
甘茶を注ぐのは、お釈迦さまの誕生を祝い、竜王が甘露の雨を降らしたことに由来しております。
5月6日、大型連休最後の日にペット供養祭が行われました。
この日の天気予報では午後から雨模様という事で、急きょ会館にて法要が営まれました。イス60脚を用意したのですが、間に合わず20脚を追加するほどの参列者でした。
読経の中、各自が亡きペットを偲び、真心を込めて焼香されておりました。
法要後の法話では、{「別れ」の教えを胸に刻み}という題で新聞に掲載された高校生の文章を紹介しました(岩手日報論壇2019.2.5日付)。以下にその一部を紹介します。
「もう二度と会えない別れは、ただただつらく悲しいだけでなく、私たちに大切なことを教えてくれる。大切な人が私たちに向けて、最後に残してくれた教え、かけがえのない思い出をしっかりと胸に刻み、前を向いて生きていくことこそが、その人へ感謝を伝えることができる方法ではないだろうか。そのことを忘れずに、日々の時間を大切に過ごしていきたいと思う」
亡きペットとのかけがえのない思い出をしっかりと胸に刻み、日々時々を大切に前を向いて生きていくことこそが、亡きペットに対する供養となり、感謝を伝えるただ一つの方法でありましょう。亡きペットには残された家族の笑顔が一番嬉しいと思います。
葉桜となってしまいましたが、境内で恒例の「おっぽの会」のお花見会が行われました。
ワンちゃんの話で盛り上がるこの会は、いつも楽しみにしております。ワンちゃんを亡くし、今は飼っていない会員の方も、早く良き縁に恵まれ、新しい家族を迎える事を願っております。
犬は私たち人間と違い、先にある楽しみも将来に対する不安も持っておりません。今が全てなのです。その今という今をを楽しく充実させるようにするのが飼い主の努めかと思います。
あれほど満開に咲き誇ったサクラですが、「花の命は短し」と言うように、あっと言う間に散ってしまいました。しかし、散るからこそ、その一瞬を心待ちにし、心をときめかすのでしょう。
厳しい寒さを経て、美しい花を咲かせるサクラに人生を重ねる方もおられると思います。この世は無常で人の心も物も状況も一切変化しないものはありません。
誰しもが、いつまでも若く、元気で、寝たきりにならず、惚けることもなく、出来るだけ長生きをして、ポックリ死にたいと願います。しかし、実際はどうでしょうか?。私たちは次第に年を取り、シワが増え、髪の毛が薄くなり、時には病気にかかり、あるいは寝たきりになり、死を迎えます。どのような死を迎えるかは誰にも解りません。
先のことを考えると不安が付きまといます。人も花と同じように、無心に咲き、無心に散ることこそが不安を解消するただ一つの道なのかも知れません。