2015/09/08
ひと言が極楽浄土に変える(あるバスの中で)
カテゴリー:法話集

暑さ寒さも彼岸までと言うように、あの猛暑が嘘のように過ごしやすい季節となりました。彼岸は昼と夜の長さが同じになる日で、太陽が真西に沈む日でもあります。昔の人は太陽が沈む真西に、御先祖さまが住む極楽浄土があると考え、これが先祖供養と結びついて、彼岸の行事が行われるようになったのです。

さて、だいぶ前ですけれども、ある女子高生が新聞に投稿されておりました。題は「バスの中で」です。

〘バスの中で、突然、サイレンがなり出したような声が響きわたった。その声のする方に顔を向けると、そこには若い母親に抱かれた真っ赤な顔をした赤ちゃんがいた。赤ちゃんはなかなか泣き止まない。むしろ、泣き声は一層激しさを増したようだ。さっきまで隣で楽しそうに話し合っていた男の子2人組も、次第に、「うるせいなあ!」と繰り返し、周りのおばさんたちは「眠たいのよ、きっと。泣かせておけば」と言いつつも表情は硬かった。

私自身も、心の中は、汚い気持ちでいっぱいになっていた。「早く降りないかなあ。なんで泣くの。お母さん何とかしてよ」というのが偽らない本音であった。

赤ちゃんは、泣き止むかと思えば、また、泣き始め、泣きじゃくった。その度に若い母親は、半分涙声で、「泣かないの、泣かないの」と繰り返すばかりで、その声さえも耳ざわりになっていた時である。

「泣かせておきなさい、そのうち泣き止むんだから」。その声はバスの運転手さんであった。彼の声はすっかり赤ちゃんの泣き声に占領されていた車内に一条の光を照射するように、そして、こう続けられた。「誰でも赤ちゃんだったんだよ。みんな他人に迷惑をかけて大きくなったんだから遠慮なんかすることはないよ」。

私は、その言葉にハッと我に返ると同時に、とても自分がちっぽけで、自分勝手で情けない人間だと思い、恥ずかしさに身の縮む思いであった。そして、自分がここにこうしていることを、誰の手も借りずに、一人で成長してきたかのように勘違いしていたことを思い知らされたのである。

申し訳なさそうに小さくなっている母親の顔を見ていると、知らず知らずのうちに、目頭が熱くなっていくのをどうしようもなかった。たった一言が人を傷つけたり、励ましたりするもんだなあと実感した〙。

針のむしろに座らされた心地であったでありましょう母親は、運転手さんの一言で救われ、また、乗客の方も女子高生と同じように、自分たちのトゲトゲとした心の狭さに気づかされ、きっと穏やかな気持ちに変えさせられたと思います。まさに、その一言がバスをトゲトゲした地獄の世界から、優しさに包まれた極楽浄土に変えたと言えましょう。

私たちも、たった一言が、ただ一つの振る舞いが、その場を極楽にも地獄にも変えうるということを肝に銘じ、言葉を発し、行動したいものであります。

2015/08/23
生まれるときは泣いて、死ぬときは?
カテゴリー:法話集

私たちは「オギャアー」と泣き、「オギャアー」の「ア」で息を吐いて生まれ、「ウン」で息を引き取ると言われています。この「ア」と「ウン」を漢字で表すと「阿」、「吽」であります。ですから、「阿」は口を開いて最初に出す音、「吽」は息を引き取る時の声と言えます。私たちは「阿」で息を吐き、「吽」で息を吸い込む「阿吽」の呼吸の中に生きているのです。「吽」で吸った息が出せないと、即ち、息を引き取ったままになり、臨終となるのです。

さて、ロシアの古い諺(ことわざ)に、「生まれてくるときは、泣いて生まれてくるが、周りの人たちは笑って祝福してくれる。死ぬときは、自分が笑って、周りの人たちが嘆き悲しむ。そのような生き方をしなさい」と。

それが逆だったらどうでしょうか?「死ぬときは、自分が嘆き悲しみ、周りの人たちが陰で笑っている」。あまりにも寂しい人生ですね。

いつだったか、NHKテレビ「臨死体験・人は死ぬとき何をみるのか」という特別番組が放映されました。それは、「死」を余儀なくされた人々が、奇跡的に死の淵から生還した体験を取り上げた番組でした。死の淵をさまよい歩いているときに、何とも言えないきれいなお花畑で亡くなった御先祖さまに会ったり、あるいは自分の一生を、幼い頃から死のその瞬間までに経験した様々な思い出が走馬灯を見るが如く思い出されたと言うような証言でした。

実はこのような体験をされた方から直接お話を聞く機会がありました。タクシーに乗った時の事です。「お客さんは和尚さんですか?実は不思議な体験をしたのです」とドライバーさんが話しかけてきました。

「ある冬の夜、お客様を降ろして帰る途中、雪道で車がスリップして崖から落ちたのです。もう助からないと思った瞬間、ほんの数秒にも満たない時間だと思うのですが、自分の一生が瞼に浮かんだのです。幼い頃、少年時代の頃、親や兄弟など懐かしい顔が映画のシーンでも見ているかのように鮮明に見えたのです。そして、父親として夫として、何もしてやれなかった残される子供や妻の幸せを願ったのです。幸いにも、落ちたところは雪が深く積もっていたので、たいした怪我もなく済みましたが、今は妻や子供をはじめ多くの方々との出会いの縁を大切にするようになった」と言うような内容でした。

人は亡くなる瞬間に、自分の一生を走馬灯のように見るのであれば、納得のいく、悔いのない生き方が出来ればと思います。

この世に何の未練も残さないで、「我ながら良くやったと、自分を愛おしく思い、縁ある方々にお陰様にていい人生を過ごさせて頂きました、一足お先に行ってますよ」と感謝の言葉を述べ、笑顔で合掌し、息を引き取りたいものあります。

「朝は希望に起き、夜は感謝に眠る」 日暮を!

 

2015/08/23
元少年、もも子のお墓にお参り
カテゴリー:ブログ

お盆に入る前のある午後、境内を掃除していたときに、一人の青年に声を掛けられました。「もも子のお墓に手を合わせて来ました」と言うのです。

話を聞くと、もも子とは少年院で会ったというのです。もも子が生きていた頃の事ですので、少なくても十年近くは経っていると思いますが、その青年が何気なく立ち寄った当寺に「もも子のお墓」があるのを知り、少年院に入院していた時に、もも子と触れ合ったことを思い出し、お参りしたと言うのでした。

年に1,2回、犬仲間の方々と一緒に盛岡少年院にワンちゃんを連れての触れ合い活動をしていたので、当時入院していた少年の中の一人だったのです。

近況を聞いたところ、「きちんと仕事をしている」との返事でしたので、今後も道を踏み外すことなく、更生していくことを信じたいと思いました。

触れ合い活動をしていた時の少年たちの笑顔は今でも忘れられません。施設の教官が「ワンちゃんと触れ合っている時の少年たちの笑顔は、普段見せることのない本物の笑顔だ」と言った言葉を思い出しました。

もも子も立派に更生することを願っています
元少年にお参りされ笑顔のもも子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015/08/21
夏ズイセン
カテゴリー:ブログ

境内で「ジィージー」とやかましく鳴いていたアブラゼミの声もすっかり聞こえなくなり、朝夕にどことなく秋の気配が感じられる昨今となりました。さて、「夏ズイセン」ですが、例年ですと、お盆の最中に咲き誇っていたのですが、今年は7月から8月にかけて雨が少なかった為か、今が見ごろです。

この花は花期に葉がないことから、俗に「裸百合」とも呼ばれるそうです。但し、毒があるということで花壇などにはあえて植えられることもないようですが、群生する様子は見事です。

今年は例年より遅かったです
裏の坂に群生する夏ズイセン
咲くときには葉がないので裸百合とも言われる
淡いピンクがきれいです

 

 

 

 

 

 

 

2015/08/18
手押しポンプの水くみ場完成
カテゴリー:ブログ

お盆に入る前に、工事中であった水くみ場が完成しました。

私たちが小さかったところは、飲み水もお風呂の水も井戸水を使用しておりました。台所の水カメに水を溜めておくのも、お風呂に水を入れるのもたいていは子どもの役目で、手押しポンプで何回も何回も水を汲んだことが懐かしく思い出されました。

お参りに来られた大人の方は、懐かしそうに手押しポンプから水を出しておりました。子供たちは、最初は戸惑っておりましたが、冷たい水に大喜びで、手桶に水を汲んでおりました。きっと、御先祖さまも、子供たちが一生懸命に汲んだ水をお供えしてくれて喜んでいることと思います。

お墓参りにおじいちゃん、おばあちゃんに連れられたお孫さんが、年老いた祖父母に代わって水を汲み、御先祖さんにお供えする姿は、見ていても心が和みます。きっと、心優しい子どもに育っていくものと思います。

新墓地の近くに作りました
完成した水くみ場
懐かしい手動式の井戸です
手動式ポンプ
子供たちが汲んだ水で、ご先祖様も大喜びでありましょう
協力して水を汲む子供たち
水温は14度位です
冷たい水に大喜び